第2話:記憶の残響、失われた歌

創造とアイディア

第一節:逃亡と追憶の始まり

秘密の通路は、ソルティア7の岩盤を縫うように掘り抜かれていた。千年前、ゼノス・ヴァレンが隠遁を決意した時、最後の手段として建設した脱出路である。通路の壁面には微細なエーテル波増幅器が埋め込まれ、追跡を困難にする偽装フィールドを発生させていた。

だが今、そのエーテル波が奇妙な共鳴を起こしていた。

「これは…?」

ゼノスの足音が通路に響く中、彼の発光器官が不安定に明滅した。先ほどから感じていたエーテル波の乱れが、この密閉された空間でより強く感じられる。それは単なる外部からの干渉ではない。まるで、彼自身の内部から湧き上がってくるような、懐かしくも哀しい波動だった。

♪ エセル・ノヴァ・ラシアン… ♪

微かに、とても微かに、古い歌が聞こえた気がした。

ゼノスは立ち止まった。その歌声は、千年前に失われたはずの「星辰の歌」だった。愛する者たちの声が、時の彼方から響いてくるような幻聴。だが、ヴェリディアンの感覚器官は高度に発達している。これは単なる幻覚ではない。

「まさか…記憶の共鳴が始まっているのか?」

古代ヴェリディアンには、極度の精神的ストレスや生命の危機に瀕した時、過去の記憶が鮮明に蘇る現象があった。それは単なる回想ではない。その時の感情、感覚、そして周囲のエーテル波の状態まで、完全に再現する追体験だった。

通路の奥から、かすかな機械音が聞こえてくる。SOEDの追跡が始まったのだろう。ゼノスは歩を早めた。脱出艇にたどり着くまで、あと数百メートル。

しかし、歩を進めるたびに、古い記憶の断片が脳裏をよぎった。

光に満ちた母星の空。愛する人の笑顔。評議会での激論。そして…あの日の絶望。

「今は思い出している場合ではない」

ゼノスは首を振り、記憶を振り払おうとした。だが、エーテル波の共鳴は止まらない。むしろ、通路の奥へ進むにつれて強くなっていく。

ついに通路の終端にたどり着いた時、ゼノスの発光器官は金色に輝いていた。そこには、古代ヴェリディアンの技術の粋を集めた小型脱出艇「ルミナス・ファルコン」が待っていた。流線型の美しい船体は、今も時の経過を感じさせない輝きを放っている。

ルミナス・ファルコンは単なる脱出艇ではなかった。ヴェリディアン最高技術の結晶であり、エーテル波と共鳴する生体結晶を動力源とした、文字通り『魂を持つ船』だった。

ゼノスは素早く起動シーケンスを開始した。エンジンが静かに唸りを上げ、エーテル推進システムが暖機運転を始める。だが、システムの調整を待つ間、彼の意識は再び過去へと引きずり込まれていった。

♪ ヴェルタス・アステリウム、セレナ・カンタービレ ♪

今度ははっきりと聞こえた。セラフィナの歌声だった。

「セラフィナ…」

愛する人の名前を呟いた瞬間、ルミナス・ファルコンが小惑星表面に射出された。そして宇宙空間の静寂に包まれた時、ゼノス・ヴァレンの意識は、千年の時を遡り始めた。

第二節:古代の栄光

それは銀河歴前1200年、ヴェリディアン文明が最も輝いていた時代だった。

ゼノスの意識は、まるで時の川を遡るように、古代の記憶の世界へと没入していく。現実の宇宙船は自動航行に任せ、彼の精神は遥か昔の故郷へと帰っていった。

アステラ・プリマ——光の都。

七つの人工太陽が創り出す虹色の光に包まれた、美しい惑星の光景が蘇る。ヴェリディアンの首都星は、まさに宇宙の宝石と呼ぶにふさわしい世界だった。建造物はすべて生きたクリスタルで構成され、住民の感情に応じて色彩を変える。街角では常に音楽が流れ、それは個人の心の歌が自然に調和して生まれる「星辰の歌」だった。

若きゼノス——当時はまだ47歳の青年だった——は、中央研究院の巨大なドームの中で、熱心に実験に没頭していた。

「エーテル波の共鳴パターンが、生命体の精神活動と完全に同期している。これは革命的な発見だ!」

記憶の中の若いゼノスは、目を輝かせながら研究データを解析していた。彼の専門は「生命エーテル工学」——生命体のエーテル波を解析し、それを技術的に応用する新しい学問分野だった。

生命エーテル工学の応用として、緊急時のエーテル波誘導システムも開発していた。『星辰の導き』と名付けたこの技術は、危険に陥った者を安全な場所へ導くことができる。平和利用を前提とした、救助と探索支援のための技術だった。

「ゼノス、また徹夜ですか?」

優しい声と共に、セラフィナが実験室に入ってきた。彼女の存在だけで、実験室の空気が温かく、優しい光に満たされる。セラフィナ・ヴァレン——まだゼノスの恋人だった頃の彼女は、「星辰の歌」の最高継承者として、銀河中にその美声を知られていた。

「この研究が完成すれば、銀河のすべての生命が調和できる。戦争も争いも、すべて過去のものになるんだ」

若きゼノスの瞳は理想に燃えていた。当時の彼らは信じていた。知識と技術によって、宇宙のすべての問題を解決できると。

記憶はさらに鮮明になる。最高評議会の神聖な議場。

ヴェリディアンの最高意思決定機関である評議会は、アステラ・プリマの中央に聳える巨大なクリスタル・タワーの頂上にあった。そこは物理法則を超越した空間で、参加者の意識が直接つながり、言葉を超えた理解が可能な場所だった。

「我々は星々の調律者として、銀河の調和を保つ責任がある」

ゼノスの父、エリオン・ヴァレンが、厳かな声で評議を開始した。彼は当時の最高評議会議長であり、銀河でも最も尊敬される賢者の一人だった。その発光器官は常に深い金色に輝き、千年の経験に裏打ちされた叡智を示していた。

「各星系からの報告によれば、銀河辺境で異常な現象が観測されています」

若い評議員の一人が、データクリスタルを宙に浮かべながら報告した。そこには、いくつかの星系で生命反応が急速に減少している様子が記録されていた。

「原因は不明ですが、影響範囲は拡大傾向にあります。このままでは、銀河の生態系全体に影響が及ぶ可能性があります」

当時のヴェリディアンたちは、まだその現象の真の恐ろしさを理解していなかった。それが後に「サイレンス」と呼ばれる、銀河の根源的バランスが破綻した時に生まれる絶対的な静寂の領域の第一波だとは、誰も想像していなかった。

「息子よ、君の研究が役に立つ時が来たようだ」

エリオンがゼノスに向けて語りかけた。生命エーテル工学の第一人者として、息子の才能を誰よりも高く評価していた父だった。

「生命の再構築プログラム…それが答えになるかもしれません」

若きゼノスは立ち上がった。彼の理論では、失われた生命のエーテル波パターンを記録・保存し、必要に応じて再構築することが可能だった。当時としては革命的な発想だった。

記憶の中で、星辰の歌が響く。セラフィナの美しい声が、評議会の議場を満たしていた。

♪ エセル・ノヴァ・ラシアン、ヴェルタス・アステリウム 星々の意志により、真実への道を歩まん ルナ・ソラリス、ハーモニア・エテルナ 月と太陽の調和が、永遠の平和を運ばん ♪

それは希望の歌だった。ヴェリディアンが数万年にわたって歌い継いできた、宇宙の調和を願う神聖な調べ。セラフィナの歌声は、評議員たちの心を一つにし、困難な決断への勇気を与えていた。

「我々には責任がある。銀河のすべての生命を守る責任が」

エリオンの言葉に、評議員たちが頷いた。彼らは知らなかった。その崇高な理想が、やがて銀河全体を脅かす災厄の種になるとは。

記憶の光景が変わる。研究室での日々。セラフィナとの穏やかな時間。そして、運命の日の前夜。

「本当にこれで良いのでしょうか?」

セラフィナが、研究に没頭するゼノスの肩に手を置いた。彼女の歌い手としての直感が、何か不吉なものを感じ取っていた。

「大丈夫だ。計算は完璧だし、シミュレーションも成功している。生命の再構築プログラムは、失われた命を取り戻すことができる」

若きゼノスは自信に満ちていた。しかし、恋人の不安そうな表情を見て、その手を優しく握った。

「心配するな、セラフィナ。これが成功すれば、もう二度と、誰も失わずに済む」

それが、愛する人と交わした最後の会話だった。

第三節:破滅の予兆

記憶は一転し、銀河に異変が現れた日へと移る。

アステラ・プリマの夜空に、異常な現象が観測されたのは、ゼノスが生命の再構築プログラムの最終調整を行っていた時だった。観測ドームから響く警報音が、彼の集中を破った。

「ゼノス!大変です!」

研究助手が血相を変えて駆け込んできた。彼の発光器官は恐怖で青白く震えていた。

「カペラ星系が…カペラ星系全体の生命反応が消失しました!」

「何だって?」

ゼノスは手にしていた実験器具を取り落とした。カペラ星系には三つの生命惑星があり、総人口は数十億に及んでいた。それが一夜にして消失するなど、あり得ないことだった。

記憶の中で、緊急評議会の場面が蘇る。

「現象は拡大を続けています。既にベガ、アルタイル星系でも同様の異常が確認されました」

観測部長の報告に、評議場は重苦しい沈黙に包まれた。巨大なホログラムには、銀河の一部が黒く塗りつぶされた地図が表示されている。それは、まるで宇宙そのものが侵食されているような恐ろしい光景だった。

「侵食速度は加速しています。このペースでは、三ヶ月以内に銀河中心部に到達します」

「原因は何だ?」

エリオンの問いに、誰も答えることができなかった。ヴェリディアンの高度な科学技術をもってしても、この現象の正体を掴むことはできなかった。

「調査隊からの最後の通信です」

通信士官が震え声で報告した。

「『何も…何も聞こえない。光が…光が消えていく。音も、歌も、すべてが…』そこで通信が途絶えました」

その時だった。観測ドームから、さらに恐ろしい報告が入った。

「新たな現象を確認!アルファ・ケンタウリ星系で…これは…」

報告者の声が途切れた。しばしの沈黙の後、絶望に満ちた声が続いた。

「星そのものが…消失しています。質量も、重力も、存在した痕跡すら残っていません」

評議場が恐怖の静寂に包まれた。星が消失する——それは、物理法則を超越した現象だった。いや、物理法則そのものが破綻しているのかもしれなかった。

記憶の中で、ゼノスは初めてその存在と接触した瞬間を追体験する。

それは調査のために派遣された探査艦での出来事だった。若きゼノスは、父の反対を押し切って調査隊に参加していた。

「エーテル波の異常を検知。これは…今まで見たことのないパターンです」

ゼノスがセンサーを確認していた時、それは現れた。

サイレンス。

最初は、ただの暗闇に見えた。しかし、それは単なる光の不在ではなかった。存在そのものの否定。音も、エーテル波も、生命の気配も、すべてを飲み込む絶対的な虚無。銀河の根源的バランスが崩れた時に生まれる、あってはならない存在。

「退避!全艦、即座に退避!」

艦長の命令が響いたが、もう遅かった。サイレンスは光の速度を超えて拡散していた。いや、速度という概念すら意味をなさない現象だった。

探査艦の一部がサイレンスに触れた瞬間、そこにあったすべてが消失した。金属も、エネルギーも、乗組員の記憶も。まるで最初から存在しなかったかのように。

「ああ…なんということだ…」

接触の瞬間、ゼノスの精神に直接流れ込んできた感覚は、恐怖を超越していた。それは無であり、終焉であり、存在することの完全な否定だった。銀河の根源的バランスが崩れた時に生まれる、あってはならない存在。

辛うじて脱出した探査艦は、アステラ・プリマに緊急帰還した。

「見たのか、息子よ」

エリオンが、青ざめたゼノスを迎えた。父の発光器官は、深い悲しみを示す紫に変わっていた。

「あれは何なのですか、父上」

「わからない。だが、確実に言えることが一つある」

エリオンは息子の肩に手を置いた。

「あれは、宇宙の根源的なバランスが破綻した時に生まれる存在だ。本来なら、この銀河に現れるはずのないもの。そして、我々の知る生命や存在とは、正反対の性質を持っている」

記憶は、緊急評議会の最終局面へと移る。

「現象は加速しています。既に銀河の8分の1が影響範囲に含まれました」

絶望的な報告が続く中、ゼノスは立ち上がった。

「生命の再構築プログラムを使うしかありません」

若い彼の声は、決意に満ちていた。

「あの…『サイレンス』に奪われた生命を、すべて復元するのです。プログラムの出力を最大まで上げれば、理論上は可能です」

「だが、それは危険すぎる」

マエストロ・オリオンが反対の声を上げた。彼はプログラム開発の主導者でありながら、その危険性を最も理解していた人物だった。

「エーテル波の人工的な大規模操作は、宇宙のバランスそのものを破壊する可能性があります。我々は神ではありません」

「しかし、このまま手をこまねいていれば、銀河のすべてが失われます」

ゼノスの言葉に、評議員たちがざわめいた。若い理想主義者の主張と、老練な学者の警告。どちらも正しく、どちらも恐ろしい選択だった。

最終的に、エリオンが重い決断を下した。

「生命の再構築プログラムの発動を承認する」

父の声は、千年の重みを予感させる響きを持っていた。

第四節:禁忌の選択

記憶は、運命の日——プログラム発動の瞬間へと移る。

アステラ・プリマの中央制御室は、ヴェリディアン科学技術の粋を集めた神殿のような場所だった。巨大なエーテル波増幅装置が天井まで聳え立ち、無数のクリスタル導管が複雑な回路を形成している。室内は荘厳な金色の光に満たされ、技術者たちの緊張した表情を照らし出していた。

この瞬間のために、エリオンは密かに準備を進めていた。万が一の事態に備え、すべての記憶と真実を記録した装置を、古戦場の聖域に設置する準備を。息子よ、この決断が間違いだった時のために、我々の記憶と真実を遺さねばならない。古戦場の聖域に、すべてを記録した標石を設置する。いつか、生き残った者がそれを見つけることを願って…

「プログラム起動準備、完了しました」

主任技術者の報告に、制御室内のすべての視線がゼノスに注がれた。彼の手には、生命の再構築プログラムの起動キーが握られている。それは美しいクリスタル製の装置で、内部では微細なエーテル波が踊るように輝いていた。

「本当に、これで良いのでしょうか?」

セラフィナが、制御室の隅から不安そうに呟いた。歌い手としての彼女の直感は、この瞬間の重大さを察知していた。星辰の歌が、わずかに不協和音を含んでいることを。

「大丈夫だ」

ゼノスは振り返って微笑んだ。だが、その微笑みには、わずかな迷いが混じっていた。

「計算は完璧だ。サイレンスに奪われたすべての生命を、元の状態に復元できる」

しかし、マエストロ・オリオンだけは、最後まで反対していた。

「ゼノス君、まだ時間はある。もう一度、よく考えてほしい」

白髭の老学者は、データクリスタルを手に最後の説得を試みていた。

「エーテル波の大規模操作は、予測不可能な連鎖反応を引き起こす可能性がある。宇宙の根源的なバランス——生と死、存在と無の均衡を破壊してしまうかもしれない」

「しかし、このまま何もしなければ、銀河のすべてが失われます」

エリオンが息子を支援した。最高評議会議長としての重圧が、彼の判断を急がせていた。

「理論的なリスクよりも、現実の危機の方が重要だ」

運命の瞬間が近づいていた。

「プログラム発動まで、あと30秒」

カウントダウンが始まった。制御室内の全員が、固唾を呑んで見守っている。

「20秒」

ゼノスの手が、わずかに震えた。起動キーの表面で、エーテル波がより激しく踊っている。

「10秒」

セラフィナが、小さく星辰の歌を口ずさみ始めた。それは祈りの歌だった。

♪ ルナ・ソラリス、ハーモニア・エテルナ ♪

「5、4、3、2、1…」

「発動!」

ゼノスが起動キーを押した瞬間、制御室全体が眩い光に包まれた。エーテル波増幅装置が唸りを上げ、無数のクリスタル導管が虹色に輝く。アステラ・プリマ全体が、巨大なエーテル波の発信装置と化した。

最初の数分間は、すべてが順調に進んでいるように見えた。

「成功です!カペラ星系で生命反応の復活を確認!」

「ベガ星系でも同様の現象を観測!」

技術者たちの歓声が制御室に響いた。プログラムは正常に機能し、サイレンスに奪われた生命が次々と復活していく。

だが、その喜びは長くは続かなかった。

「異常発生!エーテル波の出力が制御値を超えています!」

警報音が鳴り響き、制御室の光が不安定に明滅し始めた。

「停止してください!プログラムを停止してください!」

マエストロ・オリオンが叫んだが、もう手遅れだった。エーテル波の増幅は制御不能に陥り、宇宙そのものの根源的な構造に干渉し始めていた。

「何が起きているのだ?」

エリオンの問いに、主任技術者が青ざめて答えた。

「エーテル波が…エーテル波が逆流しています!プログラムが、我々自身のエーテル波を吸収し始めています!」

その時、恐ろしい真実が明らかになった。

生命の再構築プログラムは、失われた生命を復元するために、他の生命のエーテル波を代償として要求していたのだ。サイレンスによって奪われた命を取り戻すために、プログラムを発動した者たちの存在そのものを消費材料として使用していた。

「セラフィナ!」

ゼノスが愛する人に向かって叫んだ時、彼女の身体は既に光の粒子となって崩壊し始めていた。

「ゼノス…」

セラフィナは最後まで微笑んでいた。

「あなたを…愛しています…」

♪ エセル・ノヴァ・ラシアン… ♪

彼女の最後の歌声と共に、セラフィナは光となって消えていった。まるで、最初から存在しなかったかのように。

「父上!」

エリオンもまた、光の粒子となって崩壊していく。だが、父は最後の力を振り絞って、息子を脱出ポッドに押し込んだ。

「生きろ、ゼノス。そして、我々の過ちを…繰り返すな…」

アステラ・プリマが崩壊していく。

美しい首都星は、エーテル波の暴走によって存在の根源から消滅していく。建物も、住民も、文化も、歴史も。ヴェリディアン文明の数万年にわたる蓄積が、一瞬にして無に帰していく。

最も恐ろしいことは、プログラムの「成功」だった。サイレンスによって失われた生命は確かに復活した。しかし、その代償として、ヴェリディアン文明全体が消滅したのだ。

そして、エーテル波の暴走は、さらに恐ろしい結果をもたらした。宇宙の根源的バランスが破壊されたことで、銀河自身が「病」に冒され、その病が新たなサイレンス——より強大で複雑な第二波として具現化していった。

記憶の最後に、一人脱出ポッドで漂うゼノスの姿がある。

愛する人も、家族も、故郷も、すべてを失った青年ヴェリディアン。彼の発光器官は、深い悲しみと絶望を示す暗い紫に染まっていた。

「俺が…俺が殺したんだ…」

若きゼノスの慟哭が、宇宙の静寂に響いた。

第五節:生存者の誓い

現実に戻ったゼノス・ヴァレンは、ルミナス・ファルコンの操縦席で静かに涙を流していた。千年の時を経ても、あの日の記憶は鮮明なまま心に刻まれている。愛する人の最後の微笑み、父の最後の言葉、そして自分が犯した取り返しのつかない過ち。

「セラフィナ…父上…」

彼の発光器官は、深い哀悼を示す紫と、決意を表す金が混じり合った複雑な色を放っていた。宇宙船のコンソールには、自動航行システムが表示する目的地の座標が表示されている。星屑の墓場——古代の戦いの痕跡が残る、銀河の忘れられた宙域。

長距離エーテル跳躍を使用すれば、通常なら数週間かかる距離を一日半で移動できる。ルミナス・ファルコンの特殊能力である空間跳躍技術は、古代ヴェリディアンにしか扱えない高度なものだった。

「俺は理解した」

ゼノスは静かに呟いた。

「なぜエーテル波の乱れが今、起きているのかを。第二波が動き出している。俺たちが作り出してしまった、銀河自身の病が再び活性化を始めている」

記憶の追体験を通じて、彼は確信していた。現在銀河で起きている異変は、千年前の過ちの延長線上にある。生命の再構築プログラムの暴走が銀河の根源的バランスを破壊し、その結果として生まれた「病」が第二波のサイレンスとして、再び活動を開始したのだ。

「だが、今度は一人ではない」

予知のビジョンが、再び脳裏に浮かんだ。星屑の墓場で出会う五つの影。小柄で敏捷な機械の使い手、自然と共鳴する緑の魂、膨大な知識を持つ小さな賢者、そして混血の血に無限の可能性を秘めた者。

「多様性こそが鍵だ。ヴェリディアンが一人で背負おうとして失敗したことを、今度は皆で成し遂げる」

千年前、ヴェリディアンは高慢だった。自分たちの科学技術と叡智だけで、銀河のすべての問題を解決できると信じていた。他の種族の意見に耳を傾けず、多様な視点を求めることもしなかった。その結果が、生命の再構築プログラムの暴走だった。

しかし今は違う。ゼノスは学んだ。千年の孤独の中で、多様性の真の価値を理解した。異なる種族、異なる能力、異なる視点を持つ者たちが協力してこそ、真の調和が生まれる。

「星辰の歌は、一人では奏でられない」

セラフィナの言葉を思い出した。彼女はいつも言っていた。最も美しい音楽は、異なる楽器が調和した時に生まれると。

ゼノスはコンソールに手を置き、航行ルートを最終確認した。星屑の墓場まで、あと30時間の航行距離。長距離エーテル跳躍の準備段階で、空間の歪みを慎重に調整しなければならない。そこで仲間たちと出会い、新たな旅が始まる。今度は過去の過ちを繰り返すことなく、真の解決策を見つけるために。

操縦席の後方から、かすかな機械音が聞こえた。追跡システムの警告音だった。

「SOEDか…思ったより早いな」

ゼノスは振り返ることなく、追跡回避システムを起動した。ルミナス・ファルコンの古代技術による偽装フィールドが展開され、船の存在そのものを宇宙に溶け込ませる。しかし、SOEDの技術も進歩している。完全に振り切るには、さらなる工夫が必要だろう。

「彼らも必死だな。だが、俺にはもっと重要な使命がある」

追跡艦の光点がセンサーから消えた。一時的にでも距離を稼げたのは幸いだった。しかし、SOEDは諦めないだろう。彼らは銀河でも最も優秀な追跡部隊だ。

「待っていろ、俺の新たな仲間たちよ」

彼の発光器官は、今度こそ希望を示す純白の光を放った。

「ゼノス・ヴァレンは、もう一人ではない。そして今度こそ、銀河に真の平和をもたらしてみせる」

宇宙船の外では、無数の星々が静かに輝いていた。その光の中に、かすかに聞こえるような気がした。愛する人たちの歌声が、遠い記憶の彼方から響いてくるような、温かい調べ。

♪ エセル・ノヴァ・ラシアン、ヴェルタス・アステリウム ♪

失われた星辰の歌は、もう二度と聞くことはできない。しかし、その精神は受け継がれている。多様性を受け入れ、互いに協力することで、新たな調和を創り出すという理想が。

「今度こそ…今度こそ、正しい道を歩んでみせる」

ルミナス・ファルコンは星屑の墓場へと向かい続けた。千年の贖罪を背負った預言者と、新たな希望への確信を胸に。

記憶の残響は静かに消え、代わりに未来への歌声が心に響き始めていた。それは、まだ見ぬ仲間たちとの出会いを告げる、希望の調べだった。

遠方のセンサーに、微かな反応が現れた。追跡艦ではない。別の方向から接近してくる、4つの異なる船影。それぞれ異なる推進システム、異なる船体構造を持つ宇宙船たちが、同じ目的地——星屑の墓場に向かっている。

「始まったか…」

ゼノスの唇に、千年ぶりの心からの微笑みが浮かんだ。

運命の歯車が、ついに回り始めた。


第2話 完

次回:第3話「旅立ちの星、遥かなる古代の道標」
記憶の真実を受け入れたゼノス・ヴァレンが、予知に従って星屑の墓場へと向かう。そこで彼を待つものとは…そして、同じ目的地を目指す4つの影の正体が明らかになる。

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